2002年6月4日の釜山
試合後
試合開始から10分程度は韓国がかなり押されましたね。特に前方での動きが悪くパスは繋がらないわ、よくカットされて2,3回危ない場面を迎えました。私の感覚では正直ポーランドの出来というのはオリサデベの出来が95%近く左右すると言っても良いんじゃない?と思ってたんで中央でのプレスでオリサデベにさえ仕事をさせなければまず点を失う事は無かろうと楽観してたんですが、意外と左右での鋭い突破が光りましたね。かなりスピードがあって韓国の守備がそれを追いつけない場面が何回もありました。まあ、結局の所中央でのプレスは最後まで完璧に機能してたんでその突破から上がったボールが失点に繋がる所は無かったんですが、それでも冷や冷やさせられる場面が多かったですね。 | |
時間が経つにつれてその韓国チームの固さも徐々に無くなり、ホン・ミョンボの中距離シュート辺りからリズムを取り戻してきました。ただし、ソル・キヒョンだけは最後までちょっと堅かった感じしましたね。^^;。得意のスピードは出せましたけど、決定的な場面にミスが何回かあって、攻撃手としてうまくチャンスを繋げない所が再三観られましたね。その主導権はあるけど、点が入らないな〜という嫌な雰囲気に流れ始めるかという時期に丁度それを吹き飛ばしたのがホワン・ソンホンの先制ゴールでした。イ・ウルヨンのパスがうまく上がったな〜と思ったらそれをノンストップで左足。大概の格好良いゴールがそうであるように本当に撃つのかも考える前にもうゴールネットを揺らしていたというそういうゴールですね。頭の中に入力される手順がまるでゴールが決められたのが先で、それからそのボールを蹴っている姿が入力されるという感じで。それからは押しっぱなしだけどなかなか追加ゴールが決まらないもどかしい感じで前半終了。 | |
後半が始まってポーランドの先週交替等もあったけど、相変わらずの韓国の押し気味。これは後半もいけるなとサポーター達の熱も上がった所で決まったのがユ・サンチョルの追加ゴールでした。守備のミスみたいな所もありましたけど、それをちゃんと決められる所がしっかりしててまた凄いんですね。 それからはちょっと接触で膝を痛めたユ・サンチョルをイ・チョンスゥに替えたり、ホワン・ソンホンを大事に使う為にアン・ジョンホワンの替えたりしたんですけど、選手交替で守備を固めるとかしないでずっと攻撃的なプレイを一貫しました。後半終了1分前に入ったチャ・ドゥリは何となく時間使いに出した感じでしたけど、ヒディンク監督のきちとも言うべき場面でしょうか。^^;。最近は割りとやってる監督も多いんですが、韓国監督であれをやってた人はいなかった気がしますね。 |
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そして、試合は2:0で終了。韓国のワールドカップ初勝利の瞬間でした。今までの成績4分10敗。初出場から48年ぶりの勝利でした。 しかし、妙なものですね。偶然にもゴール決めたホワン・ソンホンもユ・サンチョルも一時は私はほぼ「見捨てた」選手だったんです。ホワンはほぼ10年近く韓国を体表するストライカーでやってきましたけど、それまでの韓国ストライカーの流れとはちょっと違っていましたね。それまでの韓国のストライカーの人はスピードがあったり、上手さがあったりもしましたけど、何より粘り強さがあって、その勝負強さこそがストライカーの一番の必要要件だと思ってたんですが、ホワンはデビュー当時はその高い身長で何となく空中戦をさせられる役割を持っただけで、特別スピードがあるわけでも、上手さがある訳でもなかったですね。かといって別に勝負強くも無かった訳で、韓国のサッカーファンに今でも語り継がれる94年ワールドカップの対ボリビア戦での無数の数のホームラン(--;)は彼の印象を今でも私の中に「ホームラン王」と固定させるきっかけになりました。韓国の昔からのサッカーファンは今でも時々韓国が今までワールドカップで1勝上げられるチャンスがあったとすればあの試合が一番可能性が高かったとよく言いますね。スポーツに「たられば」は禁物ですが、あの日の無数のホームランの内半分、いや3分の1でもゴール枠内に飛んでいたら0:0での引き分けは無かったと。しかし、それからというものの徐々に上手さと勝負強さを観に付けて行った彼ですが、98年のワールドカップでも雪辱のチャンスを掴む事は無かったですね。ワールドカップ進出を決めて出場前の最後の代表チームの評価戦だった中国戦で負傷を負い、結局現場には向かったものの一試合も走れませんでした。結局このワールドカップが終わったら引退するという決心が生んだのか、その何年もの鬱憤を晴らすゴールを今日決めました。彼のゴールを観る瞬間今までのもやもやとした彼への不安も不信も吹っ飛びました。 ユ・サンチョルは正直今回のゴールが無くても昔のような不安は無かったんですね。正直5,6年前の彼に対する私の個人的な評価は「勝っている時だけ使える男」でした。上手い時うまいのはそれとなく判りますけど、それが本当に切羽詰った勝負の場面ではその上手さが発揮される事がなく、勝っている時、それも特に2点以上勝っている時だけ嬉々としたプレイをするという印象がどうしても離れなかったんです。しかし、98年ワールドカップ辺りから変り始めましたね。段々とプレイに沈着さと粘りが出てきて、一昨年辺りにはもうどんあ場面でも見ていて安心出来る選手になりました。正直今となっては代表チームに必ず必要な選手と言えば真っ先に思い浮かぶのがホン・ミョンボで、その次が彼という所まできましたね。今の韓国チームの構成で彼のいない布陣を考えるのはかなりの苦痛です。 まあ、話は元に戻りますが、写真なんかは残ってなくても、この日の感動を忘れる事は一生無いでしょう。この場所にこの時間にいられて本当に良かったと思います。 |
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試合が終わってからスタジアムを挨拶に一周する選手達とそれを追いかける記者達の図です。 かなり興奮した状態で撮ったモノでぶれが酷く何が何なのか判らない写真になってますね。まあ、それがかえって良いかなと思って一枚あげて見ました。 |
韓国2、ポーランド0を映している電光板です。 試合が終わって結構時間が経てても1階のスタンドには残って騒いだりする人が大勢いましたが、2階の人はそそくさと出て行った人が多かったですね。その分外で騒いでいたのかも(笑)。 |
左のは傷んだ芝はいないか、その他に異常はないかを試合後に点検しているスタッフの人です。 右のはスタジアムの中に落ちていたゴミ等を拾っていた子供です。あれだけの試合後でも座席はかなり綺麗な感じでしたけが、何故か私の周りは異様にゴミが多かったですね。--;。私も何となく紙屑を拾ったりしましたけど、流石に拉致があかなくて足でゴミを寄せて一所に集めるだけにしてスタジアムを出てきました。 |
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試合後の競技場周りの様子です。見た所スタジアムの中に集まっていた人よりずっと多そうに見えましたので周りに住んでる人も寄せ集まって来たようでした。私も末永く(?)一緒に騒ぎたい所でしたが…バスの時間が迫っていたのでそそくさと退散しました。何とも残念でしたね。でも、地下鉄駅までのシャットルバスの中でも、地下鉄の中でも高速バスターミナルでも殆ど同じ騒ぎ様でした。^^;。 | |
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