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ゆん@韓国 |
まあ、そんな大したモノではなく、会社で仕事してると偶にちょっぴりぼけーっとした隙間の時間が出来たりするけど、その時間にアマゾンにログインして自分の持っている本やらCDやらDVDやらを入力して星一つから五つまでを適当〜に付けるという単純極まりない遊びであるが・・・それをやってるとそのデータを元に「その商品を買った人はこんなモノも買っていたりします〜」という風に適当に何かお勧めしてくれたりする。 これの奇抜な所は・・・そのお勧めの基準に何の「私見」も入らないって所である。単に「これを買ってる人はこれも買っている」というデータを元にしてるからお勧めされてる作品の間には何の間柄も無いのだがこれがまた実に面白い組み合わせで、例えばゆんがここ1ヶ月買ってる本の作家を書いてみると冬目景、しげの秀一、赤衣丸歩朗、原秀則、福本伸行、氷川へきる、道家大輔、神崎俊三、楠みちはる、野中英次、木尾士目、沙村広明、田丸浩史、長沢智、六道神士、朔ユキ蔵、小林尽等等だったりするからジャンル的に何でもかなりバラバラだが、とにかく「これを買ってる人はこれも買っている」というには事実な訳で、そういう方法論でお勧めされる本がほんの偶に大当たりしたりする場合もあるのだ。 という事で・・・何か本を買う度にそれを入力しておいて、なんか最近面白いのないかな・・・と思う時何気にアマゾンのお勧めのリストを見てそこから適当にいくつか注文してみたりするけど・・・まあ、あくまで大雑把なデータな訳だからどちらかというとハズレの場合がずっと多い。^^;。 例えばゆんは「ああっ女神さまっ」とかはかなり趣味じゃなあかったりするが、何気に講談社やアフタヌーンの方の作家の本は買ってる方だから毎回「ああっ女神さまっ」の新刊が出る度にお勧めのリストのかなり上位に来たりするんだけど・・・まあ、これは毎回削除だな。^^;。 で、当りが出る確率というと・・・2割にも満たないかな・・・というのが現状だけど、そんなこんなでこの前大当たりが一つあった訳なのだ。 なんか「つゆダク」という漫画をお勧めされて、「朔ユキ蔵?聞いた事無いな・・・。絵はいけてそうだね」という事で何気に注文して読んでみたら、適当にエロくて若干吹っ飛んだような雰囲気がまるで山本直樹がビッグコミックに描いてた頃の作品のような空気がちょっぴりしたんだよな。 多分成年コミック描いてるだろうな・・・と思って探してみたらちゃんとあったのよね、成年コミック。 で、2,3よんでみたらその吹っ飛び具合が最高でないの。 この完璧に明後日方向へと吹っ飛んでる妄想的な想像力ってバリ好みなんだよな。特にあの「少女、ギターを弾く」が最高に最高。この人の漫画は「つゆダク」は寧ろ大人過ぎというかどっか「抑圧されている爆発力」のような感じがあったけど、成年コミックの方ではそれが満開していて弾けまくっているじゃないか。 シチュエーション的に考えれば本当「なんのこっちゃ」的な状況なのにそこをパワーで押し切っている。こんなエネルギッシュな作品に会うのは本当に久しぶりだったな。 まあ、要はゆんがこの手の「吹っ飛んでる」漫画に目が無いのも大きいけど、吹っ飛んでりゃ何でも良いという訳でもないんだよな。ある意味そこが一番大事かな。例えは悪いかも知れないがアストロ球団の「ジャコビニ流星打法」なんか今の漫画でやっちゃ完璧にギャグだが、当時は真剣だったと思うし、そこんところを分ける微妙なラインというのは存在するよね。 という事で・・・暇があればアマゾンで持っている本のリストを入力してみるのも偶には思いもかけぬ収穫があるかも・・・というのが今回の教訓。^^;。 p.s.適当に「つゆダク」のワンシーンの台詞をちょっと。 「フジサワはスーパーアイドルだからよ。 マコキの鼻毛が出てたらどう?音菜にすね毛があったらどう? ゲンメツでしょ? 私に限ってそんなことはありえないの。 フジサワがやれば鼻毛もわき毛もすね毛もヘソ毛も、耳毛だって世間に流行ってしまうのよ。 やらないけど。」 なんて台詞に何となく感心させられてしまう。これは奇妙な感覚だな。 |
ゆん@韓国 |
しかし、1500円は少し高い気が・・・。 そういえばコミケにも受かったとか・・・。サークルでは勿論初参加で、なんでもコミケ自体初めて行くんだとか・・・。心配である。 |
ゆん@韓国 |
「 LIBIDOは本作品の完成をもちまして制作チームを解散することに致しました。 これまでのたくさんの方からのご支持本当にありがとうございました。 現在、LIBIDOの制作チームはわずか2名で構成されています。 そんななか「花々の想ひ・・・。」はLIBIDO出身者、外注スタッフ、仲良くして頂いている他社メーカーさんの制作チームの方々などにより制作されています。 本作品はLIBIDOとしては大作過ぎて、正直、完成度の高さはあまり望めません。 しかし、今まで完成度が高い作品を作った覚えもありません。 LIBIDOらしくこき下ろすひともいれば、面白かったといってくれるひともいる・・・そんな作品を目指して今、命を削る日々を過ごしています。」 だとか。 自分で言うな、自分で。というな感じである。^^;。 |
有里香
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一人っ子で夜中の友達はPCだったりして(笑) たくさん人が来てくれると嬉しいかなぁ〜質問orリクエストには何でも答えちゃいます☆ |
ゆん@韓国 |
観客がかわいそうだよ。 |
ミカエル |
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ミカエル |
私立のエスカレータ式の場合、学費自体は中学まではタダである。 しかし、小学校入学の際、ほとんどの学校が寄付金を要求するし、 制服、ランドセル(これが高いんだな)、その他もろもろ学費以外の金額でいろいろ要求される(修学旅行の積み立てだったり)。 もし公立の学校に行った場合は、当然入学試験に構えて、塾に通わなければならないため、結局トータル費用としては同じ金額になってしまうのだ。 でも不思議なのは、日本では韓国が世界一入試競争の激しい国として認識されているんだな、これが。 |
ミカエル |
nayuta |
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もにもに
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http://plaza.rakuten.co.jp/sogosogo/ もにちゃんでした♪ |
ゆん@韓国 |
隣に何となく写真載せてる「NHKにようこそ」と「電車男」とか、「げんしけん」やら「ラブやん」やら色々。 まあ、もっと前から一杯あったのかも知れないけど割と昔見かけたのはかなり自虐的な使い方が多かった気もするが、最近はその辺割り切ってるというか、「まあ、そんなもんだろ」と開き直ったり、完璧に逆手に取ったり色々。 素材として「使う」方も、「使われる」方もなんとなく受け入れられるようになったというのが一般化されつつある証拠というのもあれだが、少なくとも昔よりはタッチし易くなったかな。果たして良い傾向なのかどうかはおいといてw。 話は変わるが・・・、あの「電車男」のコミカライズだが・・・なんか3つもバージョンがあるというのも奇妙な話だね。普通の版権モノならまず有り得ない現象だが、これはこれでなかなか新鮮かな。もうほぼ決められたストーリーラインを如何にして自分の味で調理するかが3人3色な訳で非常に興味深い。 個人的に原秀則ならまさしく、あの主人公の冴えない振りを生き生きと(?)表現してくれそうな気もするけど・・・氏のバージョンはまだ読んでなかったり。渡辺航のこのちょこんと電車の上に座ってる表紙は結構気に入ってるけど、内容的にはちょっと色付け過ぎな気がする。原作のあの勢いがあまり伝わらない感じだな。まあ、読み易いのは良いけど。 p.s.話は逸脱するけど・・・「NHKにようこそ」を読んでると、子供一人を大学に入れるのにどれだけ金がかかるのか!という事で、「小学校180万円、中学校110万円、高校150万円、大学年間100万円+初年度入学金合わせて150万円」という勘定があったけど・・・滅茶苦茶高けえじゃん、日本の教育費。--;。恐るべし。 なんか、韓国の学校ってプールも無ければ講堂も無い所が殆どだけど・・・あの学費見てると無くて当たり前、羨ましがってすみませんでした、ハイってな感じだな。^^;。 小学校なんかもう卒業して20年は経ってるんで学費なんかもう記憶もあやふやだが・・・、確か俺の場合「小学校1万5千円、中学校12万円、高校15万円、大学4年間で200万円(1年の時年間30万で、4年の時が50万位だったっけ?)」だからね。大学院も年間60万円位だったな・・・。 まあ、基本的にGNPもGDPも違う両国だからそのまま比較しちゃうのが無理な話だが、結構驚いたな。 |
ゆん@韓国 |
とりあえずエピソード7〜9は無いよ〜という事らしいが、俺はどっちかというとあんな美味しいモノ商品にしないというのももったない話なので絶対作られるだろうな・・・と思うけどね。 ちなみになかせさんに連絡するのが目的ならこっちよりmixiの方が確かなのでは?とか思ったり。^^;。 |
金亨振 |
なんかまるちふるCAFEのほうがかなり前から更新ないんでこっちのほうに連絡を書きます。 送ってくださった本は無事届きました〜 今回の本は物作りには色々と考えさせられる作品でした。私はゲームを作り始めて9年になりますけど、昨年あたりから初めて「ゲーム作りについて勉強したい」と思うようになりました。コンピュータ・ゲームは今のマスメディアの中では一番若いですし、今ごろになってやっと学界が本格的に関心を持ち始めてるという状態です。 で、なかせさんの作品を読んでいるうちに「作ると同時に教わって、またそれを教えている」という主人公のスタンスに妙に感情移入できたんですね。 物作りの道はまだまだ険しいっす。 −Raoul |
金亨振 |
スタ・ウォーズって今回で終わりだそうだけど、エピソード9とかあったならルークの血を引く子孫が原始の地球に落ちて・・・とかの展開になってたら面白かったかも(ばか −Raoul |
ナナ
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http://nttt.jp/html http://nttt.jp/html です |
ひかり
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ゆん@韓国 |
観てない人もいるだろうから、内容にはとりあえず触れないで置こう。他はともかく上田大王様の今夏のネタは多分これと思うが、それ如何に? どうも最近殆どDVDばっかで映画館で映画を観るなんて事はめっきり減ったのだが・・・、映画館ってなんだかんだで結構高い割にはどうも調整はずぼらな所が多く、フォーカスは甘いし、黒は浮き気味で、白は沈んでてダイナミックレンジは狭いし(ある人はこの甘い映像こそ「映画らしさ」とも言う)、音は散漫で、どうも落ち着いて映画を観るにはあまり適切とは言えない場所という印象があるからなんだな。 何も「映像物」を観る訳ではなく「映画」を観る訳なんだから、そこら辺あまり気にし過ぎるのも良くないんだけど、値段に見合ったクォリティーは出して欲しい。 何がいいたいかと言うと・・・今日映画館の完璧に中央の前から5番目の席に座って映画を観た訳なのだが・・・、上映前のつまらない色んな広告が終わって、スクリーンが徐々に開いて行きながら、室内が完璧に真っ黒になり、画面にあの「A long time ago ・・・」の文字が浮かび上がり、両目で辛うじて追いつける程一杯に目の前に広がる瞬間、不意に「あ、こんな経験が出来るなんて幸せだな」と思ったのだ。 よくよく「映画はやっぱり映画館で観るモノ」というが・・・、やっぱり映画館が他のメディアと勝負する為には観客に「映画を観せる」んじゃなくて「映画を感じさせる」事だと思う。正直映画を観ながら何かを気にしたり、考え事をするような状況になったらもう既に映画館というのは適切な場所ではないんだな、そこら辺を意識させる事なく「ただ感じる」ように押し切る位の力こそが映画館の魅力だと思う。 今回のEPVはもうそこん所完璧に「大画面で観せる為」に意識的に作られた果敢な絵作りがかなり多く、こういう画面の造り方というのは余程の事ではなかなか考えられないモノだな・・・というのがかなり新鮮だった。EPTとEPUでもここまでの果敢な絵作りはされてなかったのだがEPVは完全に一回り新しい段階での大画面の使い方が試されている気がする。 アングルの自由が増え、ディテールにとことん拘る事が出来るようなったデジタル時代の新しい画法は次々と研究されて行くな・・・という感じかな。「映画館での映画」というのも進化している。 |
ゆん@韓国 |
ゆんの部屋は空調が無い割に電子機器は目茶目茶に多く、いつもかなりの熱地獄で、おまけにカサカサに乾燥していて、前からその鞄にも結構亀裂が入っていて(というかこの鞄だけちょっと材質が違ってたんで劣化したのはこれだけだが)、もう長くないかも・・・と思ってはいたけど・・・今日退勤して部屋に戻ったら結局最期を遂げていた。 氷川へきるさんが商業誌の方でイケてるようになってから同人は殆どやらなくなったように、もしかしていちば仔牛さんも同人から離れる事になるという前兆なのかも。--;。 という事はともかく・・・いちば仔牛さん頑張って欲しいかな。 何はどうあれ・・・さらば、ルリルリ〜。さらば、我が青春の日々〜なのだ。 |
ゆん@韓国 |
デジタルになってから人々が割と看過する様になったのが、この「フィルム選び」及び「現像作業」で、ぶっちゃけた話写真というのを完成品とみた場合、撮影で決められるのはよくて6割程度で、残りの4割方は撮って来た素材を如何に活かすかで決まるというのを割と多くの人が軽視していたりする。 フィルムの時代と違ってその作業があまりにも簡単になったせいで、撮影と照明のテクニックだけが高等テクニックかのように信奉している人まで現れて、撮影したデータに手を加える事を「邪道」とまで思うまでに至った人もいるのだが・・・、まあ、勿論ドキュメンタリーや記録写真の場合もあるし、そう思えば「記録」の筈の写真に手を加えるというのは良くないというのも一理あるけど、写真を撮る人の「表現」と思えば、現像作業はその表現の為の作業の一部で、それをきちんとこなすのもやはりその人の「やるべき作業」の一部だと思うのだ。 ましてや記録写真においても、その時入っていたフィルムによって写りも違えば、現像作業をどう行うかによって結果物が完璧に変わるのを思えば、デジタル写真において「原本無補正」というのが一体何の意味を持つのか判らなくなる。 デジタルにおいてのボディーの概念は既にフィルムにおいてのボディーと同意の概念とは懸け離れたもので、レンズを通った光が撮像素子に当たった瞬間からして(いや、厳密に言えばその前のロウパスフィルターを通った瞬間から)既に何らかの処理は加えられていて、完璧な「記録としての原本」というのは存在しないのである。 と思えば、機械が手を加えるのは良くて、自分で手を加えるのは良くないか?と言い始めるともうどこまでが良くてどこまでが良くないとするのかも判らなくなる。例えばホワイトバランスだが、機械のセンサーが決めてくれた設定を受け入れるのは「原本」で、RAW撮影した後、自分で合わせなおすのは「変更」になるのか?このホワイトバランス一つだけでも写真の雰囲気というのは完璧に変える事が出来る。 まあ、色々と御託が長くなったが・・・結局何が言いたいのかというと、「原本無補正」というのにあまり大きな意味は無いという事かな。いわゆる「原本」の状態でも完璧に良い絵が取れればそれに越した事はないが、結局は最終的にどんなイメージを完成させるかまでちゃんと責任持って作り上げるのが、「表現したいモノ」への「意地」を持っている人としての「責務」と思う。 p.s.という事で、このイメージの「原本?」はこっち。 http://www.seoul-music.com/img/496T9817__.jpg 手を加えたのがこっち。 http://www.seoul-music.com/img/496T9817.jpg いつもの如くサイズでかいので注意要。EOS 1Ds + Distagon 2.8/25 |
ゆん@韓国 |
あとは、ボケの美しさも結構あるんだけど・・・、絞って使う事の多いDistagon系とはちょっぴり縁が遠いかも。 |
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